人気ブログランキング | 話題のタグを見る

神宮皇后の原形は女王太一神


神宮皇后の原形は女王太一神_c0095642_21184261.jpg




神々が記載されている「古事記」における、はじまりは、あるモノのはじまり、からである。
神々の多くが万物の神となって、いるのは、みなさん知っていましたか?
まだ解明されて居ないようですので、幕開けにならないと、何も始まらないでしょうから、こちらで進めていきましょう。
これらの神々は、あるモノに宿りそれを、古代の人達は神に例えていたのです。
邪馬台国とあるのも、何かから、になっているのですが、その原形すら、見えていないようです。
邪馬台国も勿論モノで、あるのですが、古代ではそれを神とも呼んでいました。
この神も類比したモノも、宇宙の万物のように、地球の外にも類比したモノ(天体)がありました。
その天体の中の中心にある星座がモノ神にも、なっていました。
これが夜須の由来の語源の安の原と、祝詞にもあるように、天体の中の安の原に神の宮があると、されていました。
このやす、の由来が実は誰も知らないところに、あったのですが、誰も知らないところに、あったために、類比した神宮皇后の伝説の中に、あると信じて、羽白熊鷲退治したので、安心したから、これが福岡県朝倉郡夜須町の教育委員会は、これを信じて、公表したのが、これまでの、夜須町の由来になっていました。
これはあくまでも、幻想の中での、神宮皇后とは、誰も知りません。
ここでは児島宮伝記にある、神々の由来の、神宮皇后或は天神也、を知るに、これまでの町の起こり、は誰かの幻想した、書き留めであることが判ります。
神宮皇后は他にも類比した名前を持っていますので、これは原形が、神にある事は児島宮伝記以外、誰も気がついていないのです。


神宮皇后の原形

神宮皇后の原形は女王とされていると、『児島宮伝記』はしています。
この女王は神々の中でも、卑弥呼伝説にもあるように、類比した女王の原形は、ここから、きていたと、記しています。
「魏志倭人伝」は男王も記されています、この男王も神の一人として、取り上げられて、いるのです。
女王も男王も対比した神々ということが、、『児島宮伝記』のなかに記されています。
これは男女一対で、モノだけが神の姿ではないのです。
神は三対揃っていなければ、神ではないとされています。
ではもう一つは何か?それは中心となる測りのことで、ものさし、を加えて三対の神とあります。
これが謂う神宮皇后の原形になっている中心の、太一とされ、これを天神とも記しています。

天一,地一,太一の3神
「天一」とは中国古代思想における神で、その神が天上にいて地上にはいない為、その期間は方位の吉凶を気にしなくともかまわないとされる日。

地一
地王
地一族

太一
太一は天の中心に位置する北極神
天皇大帝や昊天上帝といった至高神
太一 (たいいつ)宇宙の最高神
〈大一〉〈太乙〉また〈泰一〉とも表記される。
《淮南子(えなんじ)》天文訓に〈紫宮は太一の居なり〉
苫玄(じようげん)が〈太一は北辰の名なり〉
〈天皇大帝〉ともいう
天一,地一,太一の3神が祭られた。前112年(元鼎5)には,雲陽(陝西省淳化県)に置かれた甘泉宮の南に泰畤(たいじ)とよばれる太一祠壇が設けられた。
泰畤は紫色で3層,八角形をなし,補佐神の青,赤,黄,白,黒の五帝の壇が環状にとりかこみ,太一神の祭はもっぱらここで行われるようになった。

太平御覧巻第七百五十
昔在二帝三王、宮館・臺沼池・苑囿、林麓・藪澤、財かに以て郊廟に奉じ、賓客に御め、庖廚に充つるに足るのみ。百姓の膏腴穀土、桑柘の地を奪はず。女に餘布有り、男に餘粟有り、國家殷富にして、上下交々足る。

正しい事とは?自然観こそ、現実であり真実でもあり、眼で捉える事が出来ます。
耶麻台とはここでは耶麻について述べたい
やまとは、普通山と発音します。
とは? 二つのたぐいを測るもの。
それはものさし、といわれるもの。
伊勢には太一がある、この太一の中に、云われが記されている。
太一ゆらい
妙見宮は北極星と北斗七星からなる星辰信仰が妙見苦薩の仏徳の中へ包摂されている。
北辰(北極星)を太一神とするものから国常立尊・天御中主神へと習合発展してきました。 
太一神が九宮を巡行としてそれにもとづき禍福を占ったり、
九宮貴神壇を設けて祭祀を行ったりした。
太一は以下のモノを指す。
天の中心に位置する星官(星座)、またはその神格。大一・泰一・太乙とも書く。太は至高を、根元を表す語
『淮南子』天文訓において「紫宮は太一の居」としたり、『史記』天官書において「中宮天極星、其の一に明るきは太一の常居」
天上世界における宮殿である紫微宮のなかに位置する星

太一を天神の尊きもの
日本の至高神である天照大神を太一とする。
太一とは合わせた物という説がある。
太一は天の中心なり
帝(太一神)
神世七代の神を,北斗七星の雌雄の神
「太極即ち太一」
紫宮〔の星垣〕は、太一神の居処である。
神は同神とされる神が多く、中国では太一神(北極星を神格化したもの)
太一神(北極星)と同一とも見なされる
天極星とは、全宇宙を支配している太一神司馬遷
地皇・人皇の上に立つ太一神。
太一星=北極星、太一神=唯一神。


「天皇」という称号は最高神のひとり天皇大帝に由来するといわれている。
神格化され3世紀ごろに登場し、天皇大帝の前身を紫宮(しぐう)に住む太一神と称する。
北極星を太一神平山大神。
帝王は九州を制する。児島宮歴史列伝

天一,地一,太一の3神が祭られた。前112年(元鼎5)には,雲陽(陝西省淳化県)に置かれた甘泉宮の南に泰畤(たいじ)とよばれる太一祠壇が設けられた。この王が夜須のウガヤ王である。児島宮のウガヤ王平山王也。

この文章は児島神の力により、未開の内容となっているこの文章は、児島宮歴研会著作製作によるものです。掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属し、記事の無断転用を禁じます。 著作者の許可無く無断転載を禁じております。 児島宮歴史刊行会 - 問い合わせ先-奉賛会 

我皇御孫命は 豊葦原水穂国を 

やすくにとたいらけくしろしめせとことよさしまつりき かくよさしまつりしくぬちに
安国と平らけく知食せと事依奉りき 如此依奉りし国中に
 
あらぶるかみたちをば むとはしにとはしたまひ かむはらひにはらひたまひて
荒振神等をば 神問はしに問賜ひ 神掃ひに神掃賜ひて

こととひしいはねきねたちくさのかきはをもことやめて あめのいはくらはなち
語問ひし磐根樹立草の垣葉をも語止めて 天之磐座放ち

あめのやへぐもをいづのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき
天之八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天降し依奉りき

かくよさしまつりしよものくになかと おほやまとひたかみのくにをやすくにとさだめまつりて
如此依奉りし四方の国中と 大倭日高見国を安国を定め奉りて

したついはねにみやばしらふとしきたて たかあまはらにちぎたかしりて
下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知りて 

すめみまのみことのみづのみあらかつかへまつりて あめのみかげひのみかげとかくりまして
皇御孫命の美頭の御舎仕奉りて 天之御蔭日之御蔭と隠坐して

やすくにとたひらけくしろしめさむくぬちに なりいでむあめのますひとらが
安国と平けく知食さむ国中に 成生でむ天之益人等が

あやまちおかしけむくさぐさのつみごとは あまつつみと
過ち犯しけむ雑雑の罪事は 天津罪と 

あはなち みぞうめ ひはなち しきまき くしさし いきはぎ さかはぎ くそへ
畔放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸

ここだくのつみをあまつつみとのりわけて くにつつみと
許許太久の罪を天津罪と法別けて 国津罪と

いきはだたち しにはだたち しろひと こくみ おのがははをかせるつみ
生膚断 死膚断 白人 胡久美 己が母を犯せる罪

おのがこをかせるつみ ははとことをかせるつみ ことははとをかせるつみ
己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪 

けものをかせるつみ はふむしのわざはひ たかつかみのわざはひ たかつとりのわざはひ
畜犯せる罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 

けものたふし まじものせるつみ ここだくのつみいでむ かくいでば
畜仆し 蠱物為る罪 許許太久の罪出でむ 如此出でば 

あまつみやごともちて あまつかなぎをもとうちきりすえうちたて
天津宮事以て 天津金木を本打切り末打断ちて 

ちくらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたちすえかりきりて
千座の置座に置き足らはして 天津菅曾を本刈断ち末刈切りて

やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ 
八針に取辟きて 天津祝詞の太祝詞事を宣れ 


かくのらば あまつかみはあめのいはとをおしひらきて
如此宣らば 天津神は天磐門を押披きて 

あめのやへぐもをいづのちわきにちわきてきこしめさむ
天之八重雲を伊頭の千別きに千別きて聞食さむ

くにつかみはたかやまのすえ ひきやまのすえにのぼりまして たかやまのいほり
国津神は高山の末 短山の末に上坐して 高山の伊穂理

ひきやまのいほりをかきわけてきこしめさむ
短山の伊穂理を撥別けて聞食さむ

かくきこしめしてば すめみまのみことのみかどをはじめて あめのしたよものくにには 
如此聞食してば 皇御孫命の朝廷を始めて 天下四方国には

つみといふつみはあらじとしなどのかぜのあめのやへぐもをふきはなつことのごとく
罪と云う罪は在らじと科戸之風の天之八重雲を吹き放つ事の如く

あしたのみぎりゆふべのみぎりを あさかぜゆふかぜのふきはらふことのごとく おほつべにをるおほぶねを
朝の御霧夕の御霧を 朝風夕風の吹掃ふ事の如く 大津辺に居る大船を 

へときはなちともときはなちて おほうなばらにおしはなつことのごとく   
舳解き放ち艫解き放ちて 大海原に押放つ事の如く 

をちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちてうちはらふことのごとく 
彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以て打掃ふ事の如く 

のこるつみはあらじと はらへたまひきよめたまふことを たかやまのすえ ひきやまのすえより 
遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 

さくなだりにおちたぎつはやかわのせにますせおりつひめといふかみ
佐久那太理に落たぎつ速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云ふ神
おほうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのやしほぢの
大海原に持出でなむ 如此持出往なば 荒塩の塩の八百道の八塩道の

しほのやほあひにますはやあきつひめといふかみ もちかかのみてむ
塩の八百会に坐す速開都比咩と云ふ神 持可可呑みてむ 

かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ ねのくにそこのくににいぶきはなちてむ
如此可可呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と云ふ神 根国底国に気吹放ちてむ

かくいぶきはなちてば ねのくにそこのくににますはやさすらひめといふかみ
如此気吹放ちてば 根国底国に坐す速佐須良比咩と云ふ神

もちさすらひうしなひてむ かくうしなひてば あめのしたよもには
持佐須良比失ひてむ 如此失ひてば 天下四方には 

けふよりはじめてつみといふつみはあらじと はらひたまへきよめたまへとまをすことのよしを
今日より始めて罪と云ふ罪は在あらじと 祓ひ給へ清め給へと申す事の由を

あまつかみくにつかみ やほよろづのかみたちともにきこしめせと かしこみかしこみもまをす 
天津神国津神 八百萬の神等共に聞食せと 恐み恐み申す
by kouhoka | 2007-09-07 20:36 | 神のはじまり夜須
<< 皇位は、皇宗の神裔(しんえい) 日本の始まりはこの夜須からだった >>