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貝原益軒出身の備中国吉備津宮を創建したのは、なんと、平山天皇?だった

貝原益軒出身の備中国吉備津宮の創建したのは、なんと、平山天皇?だった。
ここに天皇の、始まりは、日本よりも、前の、中国福建省屏山平山にある事が二年前地鉄工事で、ビン越の治城の軒丸瓦の模様から、日本の瓦の原形が遂に解明した。
この、治城の先を辿ると、呉越の越王勾践その先は、河姆渡遺跡の夏王朝となっていた。
中国福建省屏山平山県平山は、なんと、日本の天皇の平山天皇、発祥地である事を、解明したのは、児島宮である。

児島宮の名前と言えば、後鳥羽上皇の息の頼任親王が、承久の変で、備後の児島へ、流されたのが、児島宮の始まりである。
児島高徳といえば、大覚寺の大僧正を兼任中、「太平記」を、作本した事で、知られている。
この、「太平記」の中には、天皇の先祖を書き残していると、児島宮歴研会が、河姆渡遺跡発見前、二十数年前の事。
この頃は中国さえ神話としか、判っては,ゐなかったと、している。

これで日本の「てんのお」、が一目で、判明し、朝鮮半島渡来説は、白紙となった。

後鳥羽上皇の先祖あたる、天智天皇の父が、舒明天皇、で、かばねは、平山、てんのう、とある。
ウガヤ尊は平山御陵とされていて、福岡県朝倉夜須に、墳墓があり、この平山御陵の中から、王冠が発見され、所有者に、児島宮歴研会が承諾を、取り付け、福岡の梓書院から、「豊葦原国から邪馬台国夜須へ」で出版発行、公開していた。ので、ご覧頂きたい。
この頃は日本の考古学では、須恵器朝鮮半島渡来説に終始していて、今でも解明には至っては、いなかった。
岡山の吉備津宮でさえ、創生は解明されては、いなかった。ここで、今、吉備津宮の創建したのは、平山天皇事、孝元てんのう、ではあるまいか?
神話と言えば、平山天皇に、あたらせられよう。


      


児島宮の先人、佐久間信栄事、ハビアンも、秀吉の朝鮮征伐頃、同行し、天草で、イソップ物語を、出版した事は、児島宮歴研会がインターネットサイトで、公開しので、今では、その数多し。
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by kouhoka | 2016-06-22 18:18