<   2015年 12月 ( 1 )   > この月の画像一覧

福州屏山平山治城の雲瓦当が奈良田原の唐子鍵遺跡出土の雲瓦当が一致したと、児島宮考古学研究室が発表

福建省福州屏山平山治城の、巻雲の雲瓦当が王室専用の出土軒瓦という。
ここに、福州屏山平山治城の雲瓦当が奈良田原の唐子鍵遺跡出土の雲瓦当が一致したと、児島宮考古学研究室が発表。
これにより神武の祖先は福建省福州屏山平山治城の無渚、で、児島宮考古学研究室が、インターネットで、夏后七代の祖は越王無予、その末裔が、ビン越王の無渚となっている。このビン越王の無渚が、平山を名乗ったのであろう。今は、ビン越無渚から、地名から起きていた事が判りました。


c0095642_19153757.png






写真の上は福州屏山平山治城の無渚の巻雲の雲瓦当が王室専用とある。
写真の中はウガヤ牛王の武夷山城村出土雲瓦当王室専用
写真下は田原の唐子鍵遺跡出土の雲瓦当王室専用

巻雲の雲瓦当は中国福州屏山平山治城では天皇専用とある。これで、奈良田原の唐子鍵遺跡出土の雲瓦当が神武天皇の宮殿である事が判る。
これまで神武天皇の存在すら、判明していなかったのに、解明できた。
ここで国民の皆さんは、ウガヤ尊の、墳墓が天皇系図に平山御陵とされているのを、思い起こしていただこう。神武の祖は平山に在していた。敏達天皇も祖は平山としていたから、平山としていた。舒明天皇も、平山祖となっている。


天皇は何故平山を、名乗っていたのか?が、雲瓦当は、天皇専用とあり、福州屏山平山治城在、地名平山に、起こりがあったことが解明し、判明したと児島宮考古学研究室。

考古学に携わられている方々、全国教育委員会、文部省の方々には、お気の毒ですが、これから日本の歴史を伝達するには、勇気ある態度で向かわれますよう、祈ります。
[PR]
by kouhoka | 2015-12-27 19:17