「ほっ」と。キャンペーン

<   2013年 09月 ( 1 )   > この月の画像一覧

夜須は日本のはじまりだった

やすは、何も根拠がなく、つけられたのだろうか?
これに答えます。
やすは、始まりではありませんでした、
やすには、古代中国からやってきた、武夷の城村の越人の王に由来していて、
越祖に、ありました。
浙江省の会稽という所、に安邑というところがあり、
ここには神の神殿が、夏王朝時代より、続いていました。
実はその安邑に因み、夜須としたのは、竹枝というのに、相対していたのです。

漢字辞典のように、同じ音韻から、出きたのが、夜須の起こりという事が解りました。

c0095642_1743275.jpg

これは枕です。武夷の城村の越人と同じ枕でしょう。



これは夜須の鳥巣窯という所から出土した、碗で主に祭祀に、用いられていたようです。
c0095642_1765261.jpg
 


これは同じく弥生初期の夜須の鳥巣窯で製造したもののようです。



c0095642_1791362.jpg



いずれも、古代中国の春秋時代の文字が、刻印されており、夜須が証明できるでしょう。



c0095642_1713394.jpg

壷の首のところに、古代中国の春秋時代の文字が、刻印されており、夜須が証明できるでしょう。



日本じゅう、探しても、夜須以外の弥生初期の、穴窯の磁器は、見つからないでしょう。
ほとんどは、三世紀以降に各地でつくられたと、思います。



c0095642_17183568.jpg





これはウガヤ丑王の王冠と妻の玉依妃の王冠です、新羅の王冠はそれよりも、後の王冠になります。
それは神武天皇の兄から、伝わった王冠のようです。
c0095642_17233438.jpg


c0095642_17241127.jpg



この甑は、武夷の城村と同じ窯゛しょう、夜須の小隈窯から調査により出土しています。
c0095642_17261964.jpg



夜須の小隈窯の写真




c0095642_17301375.jpg



c0095642_17314277.jpg


[PR]
by kouhoka | 2013-09-04 16:57