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赤飯と日本の歳時記

日本の風習にはつきものの、祝いの習慣に出されるのが、赤飯である。
この赤飯は原本は古代の、赤米にあることが、新年に判りました。
誰も考えのつかなかった、日本の伝統は祝いの習慣にあるとは?


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古代米の赤米
と赤飯の関係が、日本の伝統の祝いの中にあったとは、学問でも未解決でありました。
それは、似ていることは、よく見てもわかるが、ここにはすべてが共通していることには、気付いていませんでした。
赤飯はあずき豆を混ぜて、一緒に蒸すのであるが、赤米は元々赤色で、そのままであったと感じ気がついて、いたのです。見忘れたもの、
ここには共通した豆との関係はありません?
豆はほかに節分にももちいられますが、歳時記と巻くという習慣が古代にはすでに、共通していたことも、判りました。

塩を巻き清める
これは相撲でも用いていますね。
相撲の塩まきのはじまり. 相撲の歴史は、紀元前までさかのぼるそうです。


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平安の時代になると神社のお祭りの中で相撲がはじまります。
取組みの前に「占いの場=神聖な場所」を浄める「清めの塩」として、土俵に塩をまく風習が生まれたと言われています。
三段目以下の力士は、「塩をまく事ができない」そうです。
日本の力士達が土俵に塩まきをして悪い
鬼を追い出す、という儀式があるそうですが、韓国にもこのような風習があります。
鬼やらいの風習の原理からきていた。
すべてのものの対抗に、払うの慣習がある。

鬼やらい
の風習は古く中国に始まり、奈良時代から平安時代に掛けて、わが国に伝えられたものです。
悪疫を祓う「追儺」の儀式として宮中で行われていました。
鬼やらい 豆をな、まくのだ。
「おにはーそと ふくはーうち」 
神子さまの世界には、春の節分に豆を撒く習慣があるのだそうでございます
伝統行事「追儺(ついな)(鬼やらい)」

紫式部の日記に「つごもりの夜」に鬼やらいを行ったと書かれてあるという。
節分(せちぶん)は立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日を言うそうですが疫病などで多くの人が亡くなったときに、中国で行われていた鬼追い(鬼やらい)が行われたようです。
平安期は一年をしめくくる追儺の行事
この伝統は中国を始めとして韓国などアジアにつたわっています。
ここにあるのは、伝統だけで誰の手によって始められたモノかについては、言及されていません。となれば、

現代も同様に、この伝統は神々のてなるもので、神の退けられた国ではない事がはっきりしますね。
中国でも、文化革命で失われたとされています。
私たちの日本も同じ事が云えるでしょう。
神と付き合う司なる者、それは現天皇の居る皇室でもありません、それは受け継いでいないという事になります。
すなわち、神々の根源に関わる天孫でなければ、司役とはならないと云うことなのです。
それは夜須に居るとされています。
この夜須こそ天孫とのつながりを受け継いで居たのです。

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今は失われた日本の風習は日本人の暮らしと深く共存していたのです。
ここに留めていなければ誰も日本の伝統の大切さにきがつかないでしょう。
すべてのものが自民公明党の政治家や現天皇により、代えられています、それは明治天皇依頼、日本の歴史のすべてが取り払われたのです。

日本には対抗する日本人の、何かがありましたが、現代では何もありません。
それは人間が神々よりもえらいのだと、思っているからなので、大臣のほうが偉いのだと、私したちが、感じているだけなのかも知れません?
ここには人間の知恵はもう失われていたのですね。
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by kouhoka | 2007-01-03 20:33 | 古代米と食する用具

古代米赤米の開始と弥生

古代から伝わるお米です。赤飯のルーツとも言われています。

「古代米」赤米を新年に食する機会をへて、古代の食が、夜須との遺蹟関係で明らかになりました。
            「児島宮歴史刊行会発表」
出されたので、気がついたのであるが、
小粒の赤米は今年植え付けて、精米したままで、加工は施していません。
蒸し器で蒸して、赤飯と同じあずきを入れた、様式で炊き上げられたと、聞いた。
出されたときは、何の変哲も感じなかったのであるが、これは赤米だと説明された時は、えっ、と感じる思いがした。
あまり、おこわ、と変わらなかったからである。
もちもちした、食感も同じで、味もあまり変わらなかったのだが、
違うところが、この謎を解明していた。
それは、
赤米の食感にあり、少しもち米に比べるとやや、
こつぶの上、かたいところが、然し食べるのには、あまり気にならないくらいである。
この部分赤米の水分の混有率が少ないのではないだろうか?
蒸したとされているから、蒸し加減は同じですので、違うところは、籾粒の硬さにあることになる。
では、古代に於いてはどのようにして、食していたのかが、吾が夜須の遺蹟内の各地から出土していた、甑という、蒸し器の原型である。
ここに弥生の米の生産と食の原理が保たれているのである。
東北や北海道では、米が生産されていたとしているが、遺蹟にはまだ、用途が見つかっていず、開始時期が、平安以降頃に始まっているのであろう。
それは中国会稽でも、夜須と同じ用具があって初めて、伴うのであり、用具がなければ、なかった事になる。


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赤米と関係したのはこれだけではありません。
米は神々との関係がとっても深い関係にあること知らねばなりません。
これは鎌倉時期の神々との関係を表わす原理で、
隠岐島に遠島になられた後鳥羽院がここで始められた神々のなごり、を表わすもので、角杯祭礼に始まるものの、変形の牛の相撲ならず、闘技なのです。
ここに古代の神々を司る院のお姿が見られ、
これはイラクのシュメールから受け継いできたわが国の歳時記の一つになります。


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伴うのを表わしたこの牛の闘技相撲は、隠岐の名物とされています。
特にわが国に相撲を取り込まれたのが、
夜須の篠隈前田の児島宮の先祖に当られます。
夜須に始まる稲作と用具の製造は古代を語るものとして、日本ではここにしか、見えていません、ので、神々の文字の起こりを示す古代の中国春秋時代の文字が、ここ
夜須の一帯から発見されています。松延梨の木遺蹟出土容器

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古代文字
惣利遺蹟出土の硬質土器 鳥巣窯製造
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古代の邪馬台国はここだと、されているがこれを忘れているので、それは共通するものでなくては成り立たないという、事実ニアリマス。
モノゴトのすべてに共通していなければならないのです。
これが日本の原点なのです。
日本とはこの共通した形でなければならないのです。
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by kouhoka | 2007-01-03 19:59 | こしき、と稲作