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三並の鳥巣池「八並窯跡」と夜須の遺蹟の関係

三並の鳥巣池「八並窯跡

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須恵器は、登り笠を用いた環元焔焼成によるネズミ色をした硬質の土器である。
土師器と用途によって使い分けられる
夜須町大字三並「八並遺跡群」とのかかわりがある。
時期は窯周辺から出土した須恵器と比べ、弥生後期270年には認められる。
決め手は象形文字が刻印された須恵器が夜須全体の遺蹟から出土して、竈の出土した時期と比べられ、甑の用途は「梨の木遺蹟」「梶原遺蹟」「城山遺蹟」稲作に起源していて、中国ビン民族の渡来が確認できた。
豊穣祭礼にミニチュア土器と竈の儀礼に使用されたものが「梨の木遺蹟」で確認されている。
これらは須恵器は、登り笠を用いた環元焔焼成による素焼きではあるが硬質土器である。
中には器台も多数松延周辺では確認され、高床式倉庫が確認され、松延堤北側の水辺に柱跡が確認されている、これは未調査。ここにも祭礼が行われたであろう。


これら須恵器と松延遺蹟出土の角杯や爵は用途が中国ビンと認められる。
夜須の遺蹟の時期は甑が全般から出土した事で、稲作開始と天孫降臨すなわち、神々祭礼と倭国に文明が開いた時期と重なる。
特に惣利遺蹟との関係は弥生ビンの用具が随所に見られ、古代夏王朝の用具と酷似している。甑や稲作と木製農具の類似と住まいが高床式建物が之も類似する。

曽根田「宮ノ前遺跡」、三牟田「下町遺跡」、同「ヒルバタ遺跡」等は有機的に結ぼれた弥生時代の後期中ごろから古墳時代初めにかけての拠点的地域であったことは明らかであり、 一つの「クニ」(やす王国)の存在を想定する所以である。
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by kouhoka | 2006-10-20 16:48 | 鳥巣八並窯