カテゴリ:松囃子と宮家児島( 1 )

元々は、宮さんから始まったのが、松囃子 の起源である。

これが明かす、「宮家の習わしは、神と民のつながり」、が根源である。
松囃子起源に見られるように、風習は古代にも行われていたが、能くせない者によって、その云われは書き改められ、たのは今日も同じ流れにも表われる。

「宮家の習わしは、神と民のつながり」、松囃子の あり方との関り。
それは長い間、神社と民の関りであったが、明治以降は風習が変えられている。
どんたくの呼び名になったのにも似ている。

日本人が忘れてはならないもの、は今は失われています。
今ある日本のすべては、明治以降に作りかえられたものです。

ひとの物を横取りして、本家本元と偽る、明治以降の日本は泥棒に等しい。

京都で行われていた松囃子が、博多に持ち込まれたのが始まりとも考えられている。

正月の松囃子は禁止されてしまい、明治12年にオランダ語
のZondag(休日)を変換させて「どんたく」として復活させたのが、今日の「博多
どんたく」と嘯くのは神が許しません、祭主。

松囃子に出ている者は「
どんたく」と「松囃子」を結構区別して見よることが多かです。俺も最近のどんたくの
ありかたはどんなもんかな~と「?」つきです。

民営化や道州制も、古代からの約束事風習を打ち消す狙いが根底にある。
それがまとめて変える事にある。
博多松囃子”は明治時代に禁止されたが、オランダ語の休日を意味するZondagの名を
かり、博多どんたくとして復活したと改訳して宣伝している政府関係の知事。
博多松囃子は5月に行われる「博多どんたく」の起源です。
明治時代もこのスタイルが維持されるが、明治維新後「お金の無駄遣いはダメ!文明開化
にそぐわない!」という理由から山笠とともに一時禁止される。その後一時復活するも
昭和13年を最後に戦前の松囃子は中止そして、呼び名も変えられどんたくになる。
根幹をかえると意味がなくなる。

習わし
舞姫は天冠をかぶり、舞衣を着、 緋の袴をはき、中啓を持ち、地謡、囃子にあわせ
て、優雅な舞いを披露します。

松囃子は、禁中や権門を訪れて祝いを述べ歌舞するもので、必ず仮装による風流を伴っ
たものである。都の風習にならって、府内でも年中行事として行われていた。 大友 宗麟(
そうりん) が、天正2年(1574)7月27日、御城で催した風流踊りは著名である。

つづけることの大切さを松囃子は伝えます。
これがなくては祭りの意味はなくなります。
「松囃子」は、明治時代、一時禁止されていましたが、昭和21年めでたく復活。
この時には福岡県朝倉郡夜須村篠隈に、博多松囃子隊が、宮家から出発するのが習わしとなっています。
宮家参詣して始まっていた。
松囃子は現にこうして連綿と歴史を受け継いでいる。
母体である博多松囃子は
正月15日に福岡藩主への年始の祝意を示し福博の町を練り歩く行事。
松囃子これが幕末までつづいていた。

「松囃子」は萬斎さんのキャラにピタリの曲。水車あり舞ありで芸尽くしの曲でもある
これも類似して、廻し方原形を語っている。
「松囃子」は初春のご祝儀に松囃子を舞いに廻る万歳太郎が、年取り物を送り忘れた兄弟
の家へ行き、舞いでもってそれを気付かせ、最後はめでたく「鞨鼓」や「三段の舞」で舞
納めるます。

江戸時代までの博多松囃子は、福岡城内へ黒田の殿様を表敬する年賀行事として行われてい
ました。福禄寿、恵比須、大黒天の三福神と、稚児が松囃子本体であるとされています。
博多各町、各人が趣向を凝らした出し物で続き、これを「通りもん」と呼び、年を追うごとに盛んになっていきました。これが現在のどんたくの原型であったそうです。

天皇の起源歴史まで変えている明治政府の極悪非道。
このまま見過ごしますか。そしてどんたく続けますか?
今があるのは誰のおかげ?

どんたくの歴史は小正月の松囃子が起源
明治五年新政府下知事によって禁止となり、復活する為に名前をどんたくに変えた。
ここに、新政府と現政府の共通の、破壊型が出ている。

ここに見えるのは原形を民営化と偽り、変えてしまう、事示している。
国の危険を表わしている。
松囃子はこのように、変えると悪いと、表わします。
港まつりとしているが、原形は、松囃子日本の文化から始まったものなのです。

歴史は語る福岡藩2代藩主黒田忠之の命により、中止
されていた博多松囃子は1642年(寛永19年)に再興された。
これはそわない者の時代には不向きを示している。

囃子がなくなったらただの馬鹿騒ぎです。
囃子の大切さを、忘れてはなりません。
それが、何が大切かであって、囃子の語源が、祭りなどに神霊を
分割してくっつけた神木を神社から、そ. ちこちの祭場に運搬するときに奏される 。

かさぼこは、この役目である。
女衆がかぶっている笠はには、意味が込められていた。

人家の門前で音曲を奏し金品を貰う「門付け」や、念仏踊りや
獅子舞の起源である中世芸能の「風流」の一種とも言える。 江戸時代になると、佐久間甚九郎信栄不干斎によって、江戸城
内に正月2日(のちには3日)の夜に大名らを集めておこなう謡初を松囃子と呼ぶように なった。
松囃子では、唱門師や散所などの芸能専業者のみならず村民や町人など各階層の人間が着飾り仮装し、地方においては守護など各地の権力者の邸宅へ参向し、舞や囃子が披露され、祝辞が述べられる。その返礼として禄物が授けられる。

江戸時代になると、江戸城内に正月2日(のちには3日)の夜に大名らを集めておこなう謡初を松囃子と呼ぶようになり、町人にもこの慣わしが広まったとされる。
また博多どんたくの起源である博多松囃子も、松囃子の形態を残している。
「博多松囃子」は、博多商人が年始の祝いを述べ
に領主を表敬した年賀行事。


博多出身の豪商神屋宗湛の日記に、「領主小早川秀秋の結婚祝いに福神恵比寿を正月の
ように仕立てて松囃子を見せた」とあり松囃子はこの時にはもう正月行事として定着し
ていた。
博多だけに受け継がれる松囃子には宮家の松囃子が続く原因で近世に廃止されている。
松囃子には福岡県朝倉郡夜須村篠隈宮家に、博多松囃子隊が、参詣して始まっていた。
この習わしが消えた博多どんたくに、かえられてから。

この習慣が京都から全国各地へと広まったのが起源とされる。

現政府はきげん説の打ち消しにやっきになって、改訳している。
明治政府と同じなのだ。
汚い現われ。

本来のどんたく、本来のルーツは『博多松囃子(はかた まつばやし)』にあります。

囃子は樂奏のことで、拍子の取り方の基本になっています。
囃子の拍子は強弱でなく表間と裏間で構成されている。
祭囃子の拍子
リズムや
スピードなどは 連によって力強くだったり、逆にゆっくりめだったりと いろいろ
個性があります。

拍子(ひょうし)とは一般には、拍や拍の連なりのこと。
日本では「三三七拍子」という
囃子の太鼓は、天、 テテ、 ステ、 ツク「打たない」、
の4つの音の組み合わせです。

はやくなりやすい打ち方に「流しバチ」という名称の奏法
右手だけで連続して打つ天・天・天・天 


獅子頭打ち込み
テケ天天天天天天テケ天天スケ天天と早間で打つ
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by kouhoka | 2008-05-05 21:38 | 松囃子と宮家児島