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カテゴリ:伊勢神宮の総本社児島宮( 2 )

伊勢神宮が一番古い神社というわけではなく

伊勢神宮よりも熊野神社のほうが、もっと古いが、それよりも、もっと古い神社が筑紫の筑紫城、ここが、松峡宮である。
この松峡宮が遷宮したのが現在の松峡こと松延のことで、今は慶長六年に、篠隈と改められた。
この篠隈に慶長六年甚九郎正成が、祖にのっとり、社殿を造るのが今の児島宮である。
甚九郎正成父甚九郎正勝は江戸城にいて、三代にわたり、徳川の安泰を見守っていた。
徳川家康とか、うわさされているが、記録では三千石とされているのが?どうも、間違いのようである。
甚九郎正勝の一族にゆかりの、天海僧正の母はこの、甚九郎正勝分家の女であった。
家光が、秀忠の後継になったのも、甚九郎正勝こと徳川家康?の力ゆえか?
またこれを、裏付ける、背景が狩野孝信の室に、妹が嫁いだことから、探幽が狩野孝信に連れられて、登城して、徳川家康と対面したので、あれば、筋書きは、つながる。
またこれに相して、狩野孝信が、天皇の御用絵師について、いたり、春日局が天皇から名前を拝したのも、これなら、うなづけられる。
天皇の縁戚関係にあった、甚九郎正勝は、宮家本家であった、ことから、三位のくらいが、あったのは、甚九郎正勝父佐久間信盛が、信長の御香に際して、正倉院開封のらんじゃたい、という、歴史で知られる足利義満くらいしか、開封することが、できなかったと、いう事からも、判るように、正倉院開封は天皇でも、開封は出来ない決まりが、あった事からも、関係が伺いしれる。

このように、愛知でも、佐久間信盛は五器所に神社をたてた、札書きが、残されている。
これには佐々家も連座していた。
この佐々家には、佐久間信盛女が鷹司家に嫁いで、生まれた女が、佐々成政の兄に、とついでいた。
この関係からも天皇家との繋がりが佐久間信盛に、あったことが、裏づけされている。

ここに甚九郎正勝長男、甚九郎正成は宮を造り、伊勢神宮の建物の構造「唯一神明造り」平山大明神としていたのを、現祭主が、祖に因み、児島宮とし、遷宮させた。
甚九郎正成弟、助九郎長興は、黒田長政から、養子に向かえられ、て、後継ぎのところ、忠之の抵抗にあい、やむなく、長政遺言の通り、秋月に分藩された。
この助九郎長興男長重の鎧には、秋月郷土館に展示されている鎧に、宮家の紋章が、記され、助九郎長興が、黒田長政から三番目養子に向かえられた事を、現している。

又天草四郎の乱に、犠牲にされたのは、天海僧正の男であったので、秋月藩の天草四郎の乱に奮闘したのが、秋月郷土館に展示されている、御用絵師斉藤秋圃の手になる、屏風が、それを物語るものである。
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by kouhoka | 2008-12-06 20:55 | 伊勢神宮の総本社児島宮

神様の総本宮児島宮

日本人が知らなかったこの神社が、この国で神様の始まりの地だという事が、
夜須の地名の夜須は夜須礼祭りの名前の始まりだそうで、ある事が最近判り
ました。


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この神社には神武天皇父から皇統すべての祭神が祭祀されています。


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をはじめ、桃山にも書物を書いたハビアン事信栄作いそぼ物語も残されています。


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私たちの誇りを大切に未来へのこしましょう。
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by kouhoka | 2007-04-08 17:26 | 伊勢神宮の総本社児島宮