カテゴリ:こしき、と稲作( 1 )

古代米赤米の開始と弥生

古代から伝わるお米です。赤飯のルーツとも言われています。

「古代米」赤米を新年に食する機会をへて、古代の食が、夜須との遺蹟関係で明らかになりました。
            「児島宮歴史刊行会発表」
出されたので、気がついたのであるが、
小粒の赤米は今年植え付けて、精米したままで、加工は施していません。
蒸し器で蒸して、赤飯と同じあずきを入れた、様式で炊き上げられたと、聞いた。
出されたときは、何の変哲も感じなかったのであるが、これは赤米だと説明された時は、えっ、と感じる思いがした。
あまり、おこわ、と変わらなかったからである。
もちもちした、食感も同じで、味もあまり変わらなかったのだが、
違うところが、この謎を解明していた。
それは、
赤米の食感にあり、少しもち米に比べるとやや、
こつぶの上、かたいところが、然し食べるのには、あまり気にならないくらいである。
この部分赤米の水分の混有率が少ないのではないだろうか?
蒸したとされているから、蒸し加減は同じですので、違うところは、籾粒の硬さにあることになる。
では、古代に於いてはどのようにして、食していたのかが、吾が夜須の遺蹟内の各地から出土していた、甑という、蒸し器の原型である。
ここに弥生の米の生産と食の原理が保たれているのである。
東北や北海道では、米が生産されていたとしているが、遺蹟にはまだ、用途が見つかっていず、開始時期が、平安以降頃に始まっているのであろう。
それは中国会稽でも、夜須と同じ用具があって初めて、伴うのであり、用具がなければ、なかった事になる。


c0095642_19325361.jpg


赤米と関係したのはこれだけではありません。
米は神々との関係がとっても深い関係にあること知らねばなりません。
これは鎌倉時期の神々との関係を表わす原理で、
隠岐島に遠島になられた後鳥羽院がここで始められた神々のなごり、を表わすもので、角杯祭礼に始まるものの、変形の牛の相撲ならず、闘技なのです。
ここに古代の神々を司る院のお姿が見られ、
これはイラクのシュメールから受け継いできたわが国の歳時記の一つになります。


c0095642_19404172.jpg


伴うのを表わしたこの牛の闘技相撲は、隠岐の名物とされています。
特にわが国に相撲を取り込まれたのが、
夜須の篠隈前田の児島宮の先祖に当られます。
夜須に始まる稲作と用具の製造は古代を語るものとして、日本ではここにしか、見えていません、ので、神々の文字の起こりを示す古代の中国春秋時代の文字が、ここ
夜須の一帯から発見されています。松延梨の木遺蹟出土容器

c0095642_19481156.jpg


古代文字
惣利遺蹟出土の硬質土器 鳥巣窯製造
c0095642_1955641.jpg


古代の邪馬台国はここだと、されているがこれを忘れているので、それは共通するものでなくては成り立たないという、事実ニアリマス。
モノゴトのすべてに共通していなければならないのです。
これが日本の原点なのです。
日本とはこの共通した形でなければならないのです。
[PR]
by kouhoka | 2007-01-03 19:59 | こしき、と稲作