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カテゴリ:大木遺蹟( 1 )

大木遺跡出土の甕棺線刻画はものがたる

大木遺跡から弥生時代中期のものと見られる日本最古の彩色絵画が発掘.した
福岡県朝倉郡夜須町の大木遺跡出土のかめ棺に描かれた動物や建築物は、弥生中期初めの絵画としては比類ない物語性をにじませている。

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最古級の着色線刻画 夜須町・大木遺跡出土の甕棺 福岡県朝倉郡夜須町教委は七日、同町篠隈の大木遺跡から出土した約二千百年前の弥生時代中期初めのかめ棺に、黒く着色されたシカの絵と家屋などの線刻画を確認した。これまで最古とされる福岡市の吉武高木遺跡から出土したかめ棺のシカの絵とほぼ同時期のもので、同町教委は「弥生の絵画としては最古級。当時稲作に適したこの地に既にクニがあったと思われる」としている。
大木遺跡III 福岡県朝倉郡夜須町大字篠隈所在遺跡調査報告 夜須町文化財調査報告書 第56集
鹿の生態は
角が生えているのはオスだけで、メスにはありません。角は1歳になる頃に生えはじめ、毎年春頃に生えかわります。春-出産、夏-育子、秋-繁殖、冬-雪とのたたかい。
  シカは四季折々に、それぞれの土地で、それぞれの自然と深くかかわって生きて
  いる。
大切なシカを守ることは、種が守られればよい(系統的保
 護)とするのでなく、その種が生態系の中で生きている状態を守る(生態学的保護)
 ことにある。


稲・太陽・鳥の信仰は長江からやってきた
揚子江(長江)下流域から東シナ海を越えて日本列島に伝播した
稲作と太陽・鳥の信仰をもたらした

農耕(水田稲作)儀礼―供犠としての「鹿」の生態は、民俗学の他、歴史的にも重要なところです。

自然のサイクルを古代人は鹿の生態を農耕の暦に重ねてとらえていた。
1年を365日とする太陽暦と同じ周期の暦がこの農耕暦
自然と生命のサイクルである28日を1つのまとまりとした13ヶ月364日に、もう一つの全体である1日を加えた1年365日という
天体観測による方法
自然周期により知ることができる。つまり、自然のサイクルを古代人は鹿の生態を農耕の暦に重ねてとらえていた。
太陰の一連の位相変化(月の満ち欠け)によって簡単に知ることができる。
暦という字は,中国古代の伝説的帝王の黄帝が始めて暦を作ったという「漢書律歴志」
農耕開始の目安とする自然暦として ... として農耕儀礼・稲作儀礼・畑作儀礼となっていった。

農耕から始まる現在の文明はこの鹿の生態を農耕の暦に重ねてとらえていた。
最終的な形の文明への進化に失敗したら文明と人類は悲惨な結末を迎えるかも知れない。
古代人は鹿の肩骨を焼き、ひびの入り方を調べる占いをしていました。
再生と循環の中に身を委ねた。宇宙の生きとし生けるものは、みな平等の価値をもち、その命はともに永劫の再生と循環をくりかえしている。

農耕から始まる鹿の生態起源は今から8000年遡る、イラクのメソポタミアのシュメール王により、開かれた。それはシュメール王が身に付けている手に携える七木と鹿から、天文学との関わりを、見ることが出来る。
世界で最初に文明が開かれたのはここ、メソポタミア国であった。
鹿と農耕のサイクルの暦はこの時に始まったもの。
農耕民は天体の運行と作物の植え付けとを同期させた。
中国伝来の天文学は主に占いと農耕用の暦に使われた。

稲作を中心とする農耕のサイクルは秋の収穫でいったん閉じます。
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by kouhoka | 2006-11-03 14:51 | 大木遺蹟