夜須の弥生人の暮らしが見えた

これこそ、弥生のはじまり、
それ以前縄文人の名で知られる民族の生活とは、狩猟で、家がまだ定着したくらし、ではなかった。
男たちは、集団を組んで、住いから離れて、獲物を探しているのは、現在のアフリカ集落に見られるような、くらし方を、していました。これは原始的、ないとなみを、
していて、現代日本人は、現在これに近い暮らし方に転向している。
原始とは人間の眼に見えないものの事で、人間が感性が備わっていない事、のようなもの。
つまりは現状を感じる事が出来ないこと。
人はこれを知恵とよんでいる。
現代では便利な暮らし方をしていると思っていますね、確かに便利な生活ではありますが、
この便利な生活の裏には、私たちが感じていないものと、取引により、この便利よさが、なりたっています。

取引により、この便利よさがの感じていないものとは?お金がかかわっていますね。
こうして便利の代わりに、とられる、はらう、ものが犠牲になっていて、この犠牲にされるのは、
自身の身にふりかかります。
この事で犠牲とは、失うばかりで、ふえる事はありません。
これは倍働かなくてはならないという意味が根底にあります。
こうした繰り返しの、現代ですから、お金がかわりに、ふえていき、借金が増え続けているのです。これが縄文(この名まえは、土器に付けられた縄模様から、きています)原始的暮らしの原理なのです。(つまりは何かに縛られているようなものの事なのです)

夜須の弥生人はどんな生活なのかと、いうと
文明の創設者となり、この地に開いたという、稲作農耕と宇宙天文学から、数々のものが生み出されました。
これが弥生のうむ、力から付けられたのでしょう。
原始的暮らしでは、
便利の代わりに、とられる、はらう、ものが犠牲でしたが、
この弥生開始では、新しいものが次々と生み出され、現代の元になっているのですが、
残念ながら平山神に感謝すらする事はしていないのです。

ここで、その証しを、文化財調査書鳥巣遺蹟・来る町遺蹟で、知られていないものを見つけました。まだ文化財調査書にも、書かれていないもので、
この鳥巣遺蹟や夜須広域遺蹟でも、同じものが発見されていたが、ここに人間が感性が、失われている為に、この事さえ、発見できなかったのです。

それは竈跡が夜須の遺蹟のあちこちから、出土しているので、容易に見えているのですが、ここにも、失われている感性が備わっていないので、見つけても、稲作と関係しているとは、鑑識できなかった。
これには、一つだけではありません、他にも
いろんなものが、生み出されている事を知らねばなりません。
竈跡には、何に使うのか感じられ、ここには煮るという事が連想されますね。
煮るという事が連想されると、果たして何かそれが答えです。
煮る為には鍋のようなものが必ず要りますね。
この鍋の元が、土器で焼成されて作られたかたい、甑(こしき)というものです。



これは同じ形の、こしきです。
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それは米なのです。米を食べる為に煮るのがこの容器甑。かまどにかけて、煮る。
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by kouhoka | 2007-02-22 15:59 | 夜須弥生民族の正体
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