夜須の宮ノ前遺蹟に見られる遼寧人の足跡

夜須の宮ノ前遺蹟に見られる遼寧人の足跡は、夜須全体広がる遺蹟からも、似たよなものが、沢山出土しています。これは夜須町文化財が調査したもので、佐藤正義氏がまとめられ、配布したもので、
これによると、宮ノ前遺蹟特版となっているが、夜須の全体像もしめされており、
これによるところが大きいのも、氏のまとめられた内容が、三部構成になっていて、出土品の監察が、容易に出来る特典となっている。
これで、今日まで不透明だった夜須の弥生の住人が何処からきたのか、似たよなものから、発見できた次第である。
ひいては、日本の古代の姿が確実化したわけになる。
遼寧省の春秋時代は夜須の遺蹟と、似たよなものがまだ他にもあり、
古代文字は夜須の鳥巣窯で焼かれた土器で、土器に刻印された、これと似たよなものが、遼寧省の春秋時代に見られる古代象形文字であり、今日まで、解明されて、いませんでした。


春秋時代に見られる古代象形文字
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この中にたまわるの文字があります、これが夜須の鳥巣窯から出土した、この
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椀や
壷の首のところに、刻印されて、とてもよく似ています。


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一つでは証明は無理でしょうから、
此れも、
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これは出雲文字とされるもので、夜須と出雲との関わりが似たよなものとなっています。
これは出雲で出土した刻印です。

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そしてこれは、夜須の遺蹟から出土した穴窯式土器に刻印されたものです。


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似たよなものが明かすものとは、実は再生していたことの明かしでもあり、それは民族が受け継いでいる証明でもあります。

ではここで、宮ノ前遺蹟から出土したものが、遼寧省にも見られるでしょうか。


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器台が多く見られ、これは食生活が始まり、火と竈と稲作開始の似たよなもので、宇宙天文学が、夜須に始まったことを、表わしています。
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次に131の画像の上に模様がありますね、この模様は山形を表わし、宇宙天文学の標です。
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相変わらず器台が多いでしょう、これは何を表わしているかと、云えば上に器を乗せる、為
に用いる、台なのです。弥生には煮炊きが竈を用いて、つくりますから、盛る為の台として用いたものでしょう。
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次は水に関わる容器で汁や、水分のあるものを、入れる容器として、使われたものでしょう。
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次に中央に柄杓か、しゃもじ、なのが見えていて、煮炊き時期なので、掬うための用具です。
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ここでは、お椀も見られ、竈を使い煮炊きしたものを、入れておく用具みたいな、容器でしょう。

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戦国時代には燕国に属し、秦では遼東、遼西等の郡を設置。
6000年前の新楽遺跡の発見により、この地に古代文明が栄えていたことが判明した。
遼寧省地図
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中国遼寧省羊頭窪遺跡. 黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 卜骨
中国遼寧省牧場駅東墓. 明器(耳杯 尊鼎 かまど 燭台 井戸 家屋)
6000年前の瀋陽の新楽遺跡、阜新の査海遺跡、朝陽の牛河梁遺跡などの発掘
文物により、約5000年前から6000年前、この地に古代文明が栄えていたことが立証された。
戦国時代には燕国に属し、秦では遼東に属した。
近年、資料が増加しつつある中国・遼寧省の三燕時代墓葬出土遺物に注目
遼河上流の遼寧省朝陽市喀左県では商末から西周前期の青銅器が数多く出土する。
河南省の王墓から出土した漢時代の金縷・銀縷の玉衣は、名品中の名品です
1996年河南省出土
商丘市博物館蔵

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中国産の鉛を使った銅剣の産地は遼寧省である
荒神谷遺跡から発見された銅剣は「中細形銅剣c類」または「出雲型銅剣」と呼ばれ、発見された358本の中で朝鮮半島産の鉛を使っているものが1本、残りすべてが中国産の鉛を使って作られていることが判明。

夜須吹田遺蹟からは、銅剣が出土している。

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中国本土東北部に位置する遼寧省の査海で発見玉耳飾

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太陽や鳥それに蛇を信仰する太陽族・鳥族・蛇族が明白にすみわけて存在していた。
太陽や鳥はメソポタミア都に住んだシュメール王が、始めたものと、云われています。

中国最古の約七千年前の漆遺物が出土している長江下流域の河姆渡遺跡をはじめ黄河中下流域の遺跡 遼寧省など調査 中国遼寧省本渓県で中国遼寧省で漆文化の調査始まる 。


遼寧省・凌源牛河梁の新石器時代遺跡、河南省・鄭州大師姑の夏代城跡
河姆渡遺跡は河姆渡鎮にあり、7000年前の新石器時代の文化遺跡
遺跡は寧波市に25キロ離れている。面積が4万㎡あり、1973年11月と1977年10月二度に渡って発掘された文化財は7千点余りある。木造の高床式建築が多く発見され、長いのは25mもある。寧波市
半坡遺跡は陝西省西安市郊外の、仰韶文化前期(B4800頃~B3600頃)を代表する遺跡。
環濠集落跡で、住居は半地下式の竪穴住居。堀は幅・深さとも5~6mあり、区画された共同墓地を伴う。仰韶文化と竜山文化の相関関係が初めて確認

竜山文化 B2500?~B1700?

黄河の中流~下流域を中心とし、類似の文化は遼寧・江蘇・甘粛各省に及ぶ。還元炎による黒陶・灰陶を特色とし、後期には銅器の鋳造も見られ住居は円形の竪穴住居が主

長江文明
黄河流域の麦作農耕に先行する稲作農耕が確認されたことで水稲農耕、
水稲農耕のほか黒陶・玉器・漆器・竹工芸・磁器・養蚕製絹・茶など中国を代表すると認識されてきた文化伝統の多くの源流が確認され、中国最古の都城跡も長江流域で発見された。その伝統はのちの楚文化に継承されて大型の青銅器やすぐれた漆器が多数出土している。
越の国の頃にあたる。

石家河文化 B2800?~B1500?
湖北省天門県石家河で発見版築城壁をもった都市土器は小型で楕円形のものが多い。灰陶器を主流とし、銅器もみられる。城壁の基底幅50mで、造形には竜・鳳凰などのほか人頭像(神像)・獣面など独自のものが看られ、玉器の加工技術があった。城外からは夥しい紡錘車のほか石器や玉器などの工場址が出土銅片の発掘によって冶金が行なわれていた?
。『呂氏春秋』などで、堯~禹の時代に中原と抗争を重ねたとされる伝説三苗部族と地理的にも時代的にも重複する。。『尚書』には、苗民は祭祀より刑法を重んじた。東アジア史データーより。
河姆渡文化
長江下流域最古の稲作文化。浙江省余姚市で発見稲籾の堆積があったことから、稲作を行っていたことで知られる。木造の高床式住居に暮らしていた。
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by kouhoka | 2007-02-06 17:32 | 夜須弥生民族の正体
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