夜須の由来早鷹伝説

松峡宮(まつのおのみや)(朝倉郡夜須町) とは何処なのか?
この語源を紐解くには、宮とあるのは古代に於いては、神殿の事を意味している。
古代の記録では、ウガヤと早鷹伝説での湿地とは、どのような処を表わしているのか?
その時期の事を思い描けば、定着した住民のことになる、がその訳は農耕が始まったので、食物を求めていく必要がなくなった事に原因している。
すなわち、稲作が始まり其処が湿地田んぼという訳になる。
この場所が問題となるが、話を戻して神殿との関わりから見ていきたい。
稲作と祀りの関係がこの神々を取り込んだ神殿神社の前身の事を話そう、この神々を取り込んだ神殿が謎を解くカギとなる。
古代のビン民族は、生活の物事には必ず神祀りが行われていて、その司が王である。
中国では泰山に、祀られて居たという。
ここでその王は、神殿の中に住んでいたのは、現在の神社の形式で知る事が出来る。
ここに古代のウル王の姿を残された出土品で、見ることが出来る。

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ウル王の姿には背中に羽根があり、これが王の鷹との関係を表わし、『日下部家多氏古事記』に記載されている、ウガヤと鷹の伝説の基になった原本である。

ここで王の住まいは筑紫城とか、平山城とか云われていて、『宋書』の中に記している。
これが日本では、神宮皇后の時に松峡宮に向かったとの記載と同じである。
松峡宮の由来についてだが、松延の老人が語る、砥上山の麗から松延峡(現在松延堤一帯)には、赤松が明治時代迄はあったと語るところから、この松延峡に松峡宮があったとなる。
之を裏付けるのが、宇佐神宮との関わりを持つ作者に親しい小山田徳という、人が語る松延の
筑紫城は松延峡にあるとの、知られていなかった伝説である。
これと、『日下部家多氏古事記』の話は一致している。
これは大きな手がかりである。
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by kouhoka | 2006-10-19 14:40
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