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耶麻台は安台若しくは夜須台

ここでの解説の続き
たかあまはら=天空のこと。
天のみなかぬし=太一のこと。
夜須台=天空を見立てたところの事。
耶麻台=天空を見立てたところの事。
安台=天空を見立てたところの事。
倭人自謂太伯之後。》 其後復立耶麻台男王、並受中國爵命。 晉武帝太始初
晉武帝太始初、遣使重譯入貢。 その宗女台与を立て王となす。【魏略に伝わく、倭人は
自ら太伯の後という。
この年、晉の武帝の泰始二年。晉武帝太康元年更名
晉の武帝=司馬
司馬懿=越王家の代々の秘書官職。

司馬懿(しばい、Sima Yi 179年 - 251年8月5日)は中国三国時代に魏に仕えた武将、軍師、政治家で西晋の礎を築いた人物。字は仲達(ちゅうたつ)。
司馬と除副の関係
職務「司馬」という姓に始まる
 職務についていたから「司馬」という姓を名乗ったの人物が、司馬一族の祖先
司馬遷の家は、はるか古代の周の時代から歴史を司る家
大司馬(だいしば)は、中国の官職の一つで、主に軍事を取り仕切る、現在の役職に例えれば国防長官である。
『司馬法』
法を執ること山の如き司馬穰苴およびその広大深遠な『司馬法』
行司馬 中士 (=両司馬) 海神162 海神159
除副と天子が居たのは伊都?
一大卒に除副の国がある?
除副と天子が居たのは伊都前原平原

司馬職除副は倭国を開いた

王の書記役である司馬氏除副の居る東夷に移りここに,移る
伊都前原平原に耶麻台は開かれたのかといえば、まだ開かれていなかった。
となれば、卑弥呼はどこかになるが?
おそらく、天子に同行したのであろう。
それは卑弥呼は鬼道に使えていたとあるから。
鬼道とは一生の終わりを行う儀式は巫女によって執り行われる
別神を副へ 賜ひて、詔りたまひしく、「此之鏡者、專ら我御魂とし而、吾前を拝くが如く拜き奉れ。卑弥呼
其國人伊都都比古、吾は是國の王なり、吾を除きて復二王なしといひしも、其の人と爲りを見て必ず王に非ざることを知れりといひ、范曄は漢時未だ有らざる郡より起算するを得ざれば、已むを得ず、漢時已に有りたる樂浪郡の徼より起算せしなり。されど夫餘が玄菟の北千里といひ、高句麗が遼東の東千里といふ、いづれも其の郡治より起算せる例に照せば、女王國を樂浪の郡徼より起算せるは、例に外れたる書法なり。又云く

其地大較在二會稽東治之東一。與二朱崖耳一相近。故其法俗多同。
又有二夷洲及洲一。傳言秦始皇遣二方士徐福一將二童男女數千人一入レ海(中略)所在絶遠。不レ可二往來
日本人のルーツが中国大陸から渡来した人
夜須の語源からついた、安河(七夕妙見菩薩)は越王が名した地名である。
故に邪馬台国は朝倉郡夜須町也。
この場所が天安河原だ。すぐそこで八百万(ヤオ
ロズ)の神々が相談していそうな天の安河原はそんな雰囲気のところです。
天照皇大神が居る天空の太陽は天照皇大神
安河原とは天の川です。
皆が求めても何万年も解らないでしょうよ。
天安河原事対極園也

邪馬台・夜須台・太一は天の中心に位置する北極神と解され、天皇大帝や昊天上帝といった至高神と同定される
邪馬台・夜須台・太一著作権


陰陽、万物という宇宙生成論


天上世界における宮殿である紫微宮のなかに位置する星邪馬台
北極神と解され、天皇大帝や昊天上帝といった至高神
「天地自然之図」または「天地自然河図」太極(たいち)
天の安河原とは之也。
葦原中国平定の記述は宇宙生成論道のこと。
台とは太一也。


侵害壱出典: フリー百科事典『ウィキペディア
天照大神が太一と連系したなど、何人も日本には居ない。
天の安河原とは之也。
葦原中国平定の記述は宇宙生成論道のこと。
台とは太一也。
天の安河原とは天の川か。
そうなんだー
元々邪馬台国見つけてもなかった訳かなあんだ。
では鷹ってなんですか?
この意味わかりますか
ウル王のシンボルってなんだったですか?
では鷹ってなんですか?
  これは星空のアルタイ☆
この意味わかりますか
つまりアルタイ☆が王に当たるわけ。
ウル王のシンボルってなんだったですか?
  それは鷹でしょう、だから王者。

これて基本中の基本。
夜須の語源について述べてみましょう。
これがヒントですから。
祝詞の中に葦原国をたいらけく、やすらけくとあるのは、
言葉の語源にあり、ことばはそのまま、応用していいでしょう。
これは平常心という言葉にも、なっているのは、その言葉が中心に置かれているのです。
ですから、ここでは、
天空での表現も意味し、地上では人や化身も、地名やご神体が耶麻にも、なりますから、ここでのビン民族の住まいの土地とも、受け取れます。
ビン民族は夏王朝の後裔ですから、融合した弥生倭人も、これに当てはまりますね。
ここでの夜須の語源ですが夜の巣、つまりは夜の星の事を表わしているのが、安の語源ともなります。
神の起こりはこの天空にあって、地の農耕と深くかかわりを持ちます。
でその中で神の形は三角形の取り合わせですから、つまりは、
安や夜須は、☆共通のことばを表わしているのです。
この三角形を古代人は耶麻と音していたので、三輪山のようにご神体として表わされているのです。
ですから、邪馬台三角形は夜須台ともなるのです。
by kouhoka | 2006-10-18 23:04
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