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ガラス三片円板壁は、中国では天子からの下賜品

ガラス三片円板壁は、中国では天子からの下賜品

夜須の遺蹟
篠隈「大木遺跡」 北側を曽根田川が西流する。竪穴式住居跡  2軒
   掘立柱建物跡            3棟
   土坑(貯蔵穴を含む)        36基
   祭祀土坑              9基
   不正形土坑   かめ棺墓             104基
   土坑(木棺)墓           八茎
   薄状遺構
 が見つかっている。 七号方形住居跡からは、石包丁(第8図)が出土している。石包丁は一孔のみを穿つもので、このタイプのものとしては、筑紫野市「大島遺跡」の前期の土壌からも出土しており古いものであろう。
東小田「峯遺跡」「沼尻遺跡」では水稲耕作の様子が種籾壷出土により、弥生後期と推定される。



小字名の「峯(みね)」、「坂口(さかぐち)」、「沼尻(ぬまじり)」、「塚本(つかもと)」の各遺跡を包括し、今後東小田「峯追跡」とする

墳丘墓二墓、竪穴式住居跡457軒、甕棺墓(かめかんぼ)532墓をはじめ、弥生時代中期から後期にかけての大規模な集落跡で、出土造物も、膨大な量にのぼっている。
ここでの墳丘墓二墓はビン民族の墓である。甕棺墓(かめかんぼ)が圧倒的に多く倭人の様子が見えている。奴国との境界に位置しており、隣は西小田遺蹟に近い。
時期は弥生時代中期後半代(今から約2000年前)に比定されよう。  この甕棺墓(かめかんぼ)の副葬品(巻頭カラー)は,他者を圧倒し、
  甕棺外から
   鉄戈(か)         ・・・・・・・1口
  甕棺内から
   ガラス壁片円板   ・・・・・・・2個
   内行花文「清白」鏡 ・・・・・・・1面
   内行花文「日光」鏡 ・・・・・・  1面
   鉄剣           ・・・・・・1口
   鉄鑷(しょう)     ・・・・・・ 1個
     (国指定重要文化財名称による)
ガラス三片円板壁は、中国では天子からの下賜品として、また夜光の壁として珍重された。  日本では三遺跡からのみ出土しており、いずれもガラス製品である。それは、「峯遺跡」の他、「王墓」といわれる「三雲遺跡」、「須玖岡本遺跡」の甕棺墓(かめかんぼ)から前漢鏡などとともに出土しており、前漢からもたらされたものである。 夜須町史より


武帝は元封三年(紀元前108年)朝鮮半島に楽浪郡以下四郡を設置した。 これは前漢の出先機関で日本に漢代の文物が流入するのばこの楽浪郡設置以後のこととされている。 中国前漢時代のいわゆる前漢鏡が日本において、甕棺墓(かめかんぼ)等副葬されるのは、弥生時代中期後半代のことであり、これにより年代の上限がほぼ決定できる。
夜須町の東小田「七板遺跡」での竪穴式住居跡からの他は全て墓地からの出土で、時期的には、弥生時代中期後半に中心があり、 一部後期初頭に及ぶ。
「峯遺跡」一号墳丘墓と若干様相を異にする
十号甕棺墓(かめかんぼ)の被葬者の支配する領域は、独立丘陵城山(130.6m)の北、草場川以北、宝満州以東のほぼ現在の夜須町一帯と考えたい。

10号甕棺墓(かめかんぼ)の被葬者はこの地域としては稀有のガラス壁片円板二個、前漢鏡を二面、武器としては鉄戈(か)、鉄剣各一口を保有していた。





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ガラス壁片円板二個




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鷲尾塚から出土した爵













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鷲尾塚から出土した角杯








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白鳥のミニチュア頭部鷲尾塚周辺から出土した。





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ヒルハタ鉄工房から出土のぼうせい鏡






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惣利木製工房出土酒器杯

by kouhoka | 2006-10-18 22:46
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