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児島高徳の本草、高光のあと、(1446)佐久間孫五郎助安は愛知『龍興寺文書』

          
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室町時代中期の文明7年(1475年)、緒川城初代城主水野貞守によって水野家菩提寺として建立された。徳川家康の生母である伝通院が4代水野忠政の娘であり、同寺でも供養されている事から、江戸時代には尾張徳川家の庇護を受けた。
当山は、室町時代中期の文明7年(1475)に緒川城の守護を目的に初代城主 水野貞守公の寄進によって、川僧慧済が開山した。小川氏の末裔である水野貞守が文明7年(1475年)に緒川古城を築いた。 ... 町役場の西にある乾坤院は水野貞宗が建立した水野氏の菩提寺

乾坤院境内のお稲荷さんは、もと緒川城にまつられていたもの。徳川家康の母、於大は、緒川城で生まれこのお稲荷さんのもとで育ち、六歳の時刈谷城へ移り、そこから岡崎城主、松平広忠のもとへお嫁入りすることになった。

乾坤院所在地:愛知県知多郡東浦町大字緒川字沙弥田4. 2011/08/28.
平成28年3月4日 火災により本堂、座禅堂、堅雄堂を全焼いたしました。

文安三年(1446)佐久間孫五郎助安は、民部丞の官途吹挙状を得ている。『龍興寺文書』
小川乾坤院(知多郡東浦町)蔵の「血脈集」文明十一年(1479)条に「誠栄 サクマ平右衛門家勝 尾州御貴所(御器所)」とみえる。

児島高徳の本草、高光のあと、(1446)佐久間孫五郎助安は愛知の、事
文安三年(1446)佐久間孫五郎助安は、民部丞の官途吹挙状を得ている。『龍興寺文書』
孫五郎助安と熱田の大宮司・千秋持季の関係
佐久間孫五郎助安は京都の公家、藤原二条家東寺長者道乗の後で、児島高徳の本草、高光のあとの人也。
西広瀬、東広瀬に、児島高徳の後が、見える、佐久間信晴、信盛、信栄、が見える。

脇屋義助13061342新田朝氏子里見忠義子?次郎左衛門兵庫刑部左馬弾正駿河国司越前守護武者所五番頭人

  義治義助子左馬式部左衛門尾張武者所頭人

  義則義治子又次郎相模

  義久義治子

  義陸義治子義隆

  鶴寿丸義陸子

  義高

  義冬義助子

  義重義助子寺尾四郎

  義里仕明智光秀



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by kouhoka | 2016-11-23 09:20
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