福岡県朝倉郡夜須のはじまりについて、由来

福岡県朝倉郡夜須のはじまりに、ついて、由来はあるのか?

やすとは、誰がつけたのだろうか?
日本の始まりは朝鮮半島と文部科学省や学者はいっているが、日本とのかかわりは、五世紀後半としている大阪陶村の前田氏が磁器須恵器開始は、正しいのだろうか?
これが違うと日本の歴史は、根本から、こわれてしまう。

それが神宮皇后が奈良地方の何処かに、いた事が、磁器との、かかわりが、無かったとしているのは、つじつまが、合わないのだが。この夜須と神宮皇后の羽白熊鷲退治は神話という、学界の研究の在り方は、間違っているのではないだろうか?そんな気がしている。

それは、三世紀に倭人伝に出ている、卑弥呼、の正体さえ、学界は、つかめていないのである。
邪馬台国すらまちお越しにも、
なっているが、架空での、卑弥呼、まつりも、架空という事になる。
ここに、至って、夜須の始まりは五世紀後半と学界が決めているのは、歴史さえ、空想扱いとなっている。
こうなると、夜須という地名の由来も、なかったとなり、
五世紀後半の北部九州開始とは、
いやはや、呆れたものである。
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by kouhoka | 2014-09-06 16:11
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